米澤穂信さんの「いまさら翼といわれても」感想その③です。
ストーリーに、トリックにかかわる重大なネタバレを含みますので、ご注意ください。
続きからです。
「長い休日」
ある朝まれになく調子のよかった奉太郎は、文庫本を持って散歩に出かけ、気まぐれで神社に着いたところで千反田さんに出会います。境内の掃除を手伝う千反田さんを手伝うことにして(このあたりまでで、今日はどんだけ調子がいいんだホータロー!と思うくらい意外だった)、その様子をやはり意外に思った千反田さんは、かねてより疑問に思っていたことを奉太郎に聞いてみるのでした。
それは彼のモットー『やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に』を定めた経緯についてです。奉太郎は、小学校の思い出話を語りだします。というお話。
奉太郎は、ただいうことを聞いていて、都合よく利用されていただけの自分を、「便利に使われていた」、「ばかにされた」と感じて、それ以来このモットーが生まれた、というものでした。
でも、奉太郎にも要領よく他人に押し付けている場面はやっぱりあって、(たとえば『クドリャフカの順番』の売り子のシーンとか。)完全に人間を二分割にはできない。それこそ灰色な人間が、うじゃうじゃいるんじゃないのかなあ。
要領よく立ち回って面倒ごとを他人に押し付ける人間と、気持ちよくそれを引き受ける人間がいるということは、うん、あるある、と感じました。引き受ける人間側にある、便利に使われていた、という感覚も。
でも、要領のよい人は本当に要領がよくて、自分のやりたいことだけは一生懸命で、付随して出てくる雑事は人任せ。でもそれで傷ついている人がいるなんて、まったく考えていやしないのです。
無作為の悪意だと感じる瞬間は、いくらでもある。でもそれは、他人をばかにしてやっているつもりは、きっといないでしょう。気づいていないんです。きっと。
けれども若かりし奉太郎は、「もう便利に使われない」ためにモットーを作り出して、長い間それに従って生きてきた(といっても10年にも満たない)(若いなー)
この生き方を奉太郎のお姉さんは「長い休日」と表現して、これが今回の題名です。
しかもこの、なんでも見通せてしまう奉太郎のお姉さんが「誰かがあんたの休日を終わらせる」と言っていて、このお話の聞き手が千反田さんであるあたり、奉太郎の休日の終わりまったなしだな!と感じる一話でした。
「いまさら翼といわれても」
表題の一作ですね。
夏休みが近くなって、いつもの地学講義室で部活動(?)にいそしんでいた面々ですが、千反田さんが夏休み中に出演するという音楽祭の話を始めます。江嶋椙堂という作詞家(物語上の架空の人物みたいです)を記念した合唱祭で、千反田さんはそこでソロを歌うことになっていました。しかし、千反田さんにはいつもの元気がないようで…というお話。
音楽祭の本番になって、奉太郎のところに伊原さんから「千反田さんが来ない」という連絡が入ります。そこから、奉太郎は千反田さんを探す情報を集めていくのですが、その中に一つ、江嶋氏の詩が手掛かりになります。美しく鳴く籠の鳥を、自分に重ねて、自由に飛んでいくために空に放つ詩です。
これを里志が「説教臭い」と評するのは、流石だな、とニヤリとします。合唱祭で歌うような曲って「説教臭い」か「厨二臭い」の多くなりがちな気がするけど、これは、「説教臭い」な!
そして千反田さんの伯母さんである横手さんから情報を引き出すと、奉太郎は千反田さんに会いに行くのでした。
千反田さんはずっと、跡取りとして自覚を養っていたのに、またなんちゅータイミングでお父さんはそんなことを言い出したんだ!と、ほんとに今更だよな!と怒り出したい気分になってしまうお話でした。もっと早くから言っておいてあげればよかったのに。お父さん側にも何か事情があったんだろうか。
選択肢は限られていれば選びやすいけれど、たくさんありすぎると、何も選べなくなる。
でも、常に何かは選んでる。何も選んでいないようでいても、それは「なにも選ばないこと」を選んでいるんですよね。
千反田さんは、蔵から出てくることを選んだでしょうか。合唱祭には、間に合ったのでしょうか。今回のお話ではそこまで書かれていませんでしたが、私の中の千反田さんのイメージが正しければ、出るかな。そして「跡を継がなくていい」と言われたとしても、継ぐことを選びそうだな、と思っています。
次のお話も楽しみに待っています。小市民もね!いつになるんだろう!
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