前回の投稿の続きから、感想を書いていきます。
ストーリー、トリックにかかわる重大なネタバレを含みますので、ご注意ください。
続きからです。
「わたしたちの伝説の一冊」
「クドリャフカの順番」で伊原さんの所属する漫研の内部亀裂、その中でも微妙な伊原さんの立場について明らかになっていましたが、今回はそれをさらに進めたお話。
あれ以来、部長の早い引退などもあり、漫研は「漫画を読む人」と「漫画を描きたい(と言う)人」の分裂がよりはっきりし、もはや漫画は関係ないくらい仲の悪い二つの集団になってしまっていました。
それでも漫研で次の漫画のネタ出しをする伊原さんに、同じ漫研の「描きたい派」の浅沼さんが「いっしょに本を出さないか」と誘います。「読みたい派」の人に内緒で漫研の看板背負って本を出すなんて、クーデターのようなものだ、伊原さんはと思いますが、浅沼さんは「こんなことでもしないと、漫研に入っても漫画ひとつ描けないよ」と言います。伊原さんには思うところがありますが、その原稿を出すためネームを切っていきます。しかし、それを進めていた一冊のノートが、ちょっと油断したすきに盗まれてしまった!
どうしよう、と伊原さんは焦りますが、意外な人(そうでもないかも)から「借りたものを返してあげる」と言われます。
そしてその返してもらう指定の場所に行くと。そこではさらに意外な人物が、もっともっと意外な提案を持って待っていました。というお話。
米澤さんの漫画の描き方の表現が、本当に真に迫っていて、たぶん、けっこう本格的に描いたご経験があるんじゃないかなあ、と思います。主に、学校で書いた経験が。しかも、けっこう前に。もしくは身近に漫画を描かれる方がいらっしゃるのかなあ…、とか、想像しながら読んでしまいました。
特に伊原さんが最初のコマを引くところで「お願いだから、面白くなって」と祈るシーンでそれを感じましたが、小説も漫画も、「どうか面白くなって」と願いながら書き上げるのは同じなのかもしれませんね。
人生って時間との戦いだな、と最近思います。一つのことを(仕事でも趣味でも)極めようと思ったら、大事なのはトレーニング。トレーニングに必要なのは、何よりも時間です。
時間をどう過ごすかで、人生って決まっていく。人生を決められる時間って思っているより長くなくて、やっぱり中学、特に高校の青春と呼ばれる時期が、社会的にも人間的にも、これから自分はどう生きていくか決める、大事な時期なんですよね。高校生の時は、自分はまったくそれに気が付いていなかったけど!
今だからこそ、伊原さんの焦りがわかる!と思う!
先輩の「後悔してる。三年の高校生活のうち二年も、あんなところで使ってしまったこと」という言葉が、とても印象深いです。刺さります。
そして伊原さんは結局漫研を辞めることを決意して、漫研とは別に先輩と『夕べは骸に』を超える「伝説の一冊」を作るという目標を掲げます。
伊原さんには「氷菓」から、高校生のわりに小柄で里志が好きで奉太郎が嫌いで、図書委員で漫画が描ける、というイメージであんまり共感できる人物ではなかったですが、今回のお話は大変共感する部分が多かったです。青春の過ごし方、人間関係のこなし方、自分の夢の叶え方、たくさん詰まっている一話でした。
あと奉太郎の『走れメロス』の感想文が面白い。里志の言う通り「コンクールに出品され、一番下とはいえ賞までもらったこと」は、フィクションとはいえ驚きです。とはいえ、ああいった学校の課題作文はちょっと偉い(社会的地位のある)大人が読んで決めているものなので、時期によって評価の基準にずれも出てくるし、ありえない話じゃない…かも。そしてこの時の国語の担任花島先生がさらに面白い。「作者の気持ちなど考える必要はない」と言い切って、松尾芭蕉の『月日は百代の過客にして…」という一文を持って「これは松尾芭蕉がタイムトラベラーだったであったことを示唆します」と主張する。この先生の授業、めっちゃ受けてみたい。楽しそう。私は「月日、時間というのはいつもただ過ぎ去っていくだけのもので、この年も時間もただ過ぎていくだけだ」みたいな意味かと思っていたよ。
長くなってしまったので、今回はこの一本のみにします。続きは、また後日。
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