2016年3月20日日曜日

「少年の名はジルベール」

少女マンガ界の巨匠、武宮恵子さんが、漫画を描く傍ら、どんな時間を過ごしてきたかについて語られている本。

私が武宮恵子さんを知ったのは、姉が好きだった『私を月まで連れてって!』がきっかけです。
こどものころから、宇宙飛行士といえばダン・マイルドのイメージが強すぎて、人類が火星に立ったことないなんて、思いもしなかったよ。『宇宙兄弟』でわかった。

私にとって武宮作品というのは「リアリティがすごくある!すごい共感する!」というわけではないけれど、
ときどきこころに掠るものがあって、それがこころをざわつかせます。

今思えば『ファラオの墓』で、ナイルを失ってちょっとおかしくなったスネフェルが、捕らえたサリオキスにキスするところとか、私の腐を呼び覚まされた気がします。なんてこった。

でも武宮さんが『ファラオの墓』を書いていたころは、BLなんて全然なくて、少女マンガ界のタブーと言われるくらいのものだったとは、この本を読むまで知らなかったなあ。

今や一大ビジネスとなったBLマンガと小説の、先駆けとなった『木と風の詩』が連載されるまでの、ご自身の回顧録のような内容が主体です。

マンガって、何気なくぐわーって読んで、笑ったり怒ったり、共感して、「ああ、面白かった」で終わってましたけど、描かれている方からは本当に、人生を掛けた表現をぶつけているものなんだなあ。
この本を読んで、マンガを見る目がちょっと変わりました。

あと、本の最後の方で、悩んだり落ち込んでいたとき、「大丈夫?元気だして」と声をかけられたとき。気にしてくれるのはとてもうれしい。でも、なにかもやもやしたものが残っている。むしろその方が大きい、と思うことが書かれていて、これはもう、すごいわかります。というか、そうなんだよ!って感じでした。

そのもやもやを表現しないことには、ここから一歩も動けない。心が前を向かない。
武宮さんはそれが、創作の原動力なのだそうです。

坂上忍さんも、少し前にanothier skyで台湾行っていたときに「表現するというのは、自分を剥いていく作業」という表現をされていましたが、第一線で活動されてきた方は、みんな近い感覚を持っているのかな。

表現というのは、私の心はこれなんですと示すことで、それはとても勇気のいることだけれど。なかなかそのさらけだした心を他人に伝えるというのも難しいんだよね。ということをつらつらと考えられた本でした。



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